【二週間】診察の翌日から①

この記事は約7分で読めます。

一日目(日曜日) 一日中泣いていた。

■二日目(月曜日) 仕事。勿論手につかず。少しは紛れていたのかよく分からない。

■三日目(火曜日) 誰かに相談しないと正気の沙汰ではなくなり職場の女子をお茶に誘う。癌というヘビーな話をどう言えば、どう説明すれば、何から切り出せば、なんて思っているうちに言葉より先に号泣してしまい、取り繕った結果が片思いの相談をしてしまう。ただ、ちょっとイケメンだと思っていただけなんですが片思いということにしよう。恋とか、気分ではないが。たまたまそのお茶をした場所というのが私が通っていた携帯ショップの真ん前だったのですよ。そこにのそのイケメンのスタッフさんがいらっしゃいまして。いや、私がわざとその選んだのは否めませんが、覚えていない。兎に角「片思いで悩んでいる。片思いの相手はあのショップの人(目の前のショップを指さした)だ」としました。同僚は食いついてきました。コイバナ、好きですもんね。女子たちは。同僚ははしゃぎだしました。未婚、契約社員の陰キャがコイバナですもん。因みに彼女は正規です。最悪です。こっちは本当にダークなのに彼女はキラキラしてるんです。しかも、アピールタイムと言われそのショップをぐるぐる連れまわされました。限界にきた私は泣きました。彼女は益々テンションアップして可愛い、だの純愛だの楽しそうです。「帰ろう」というのがやっとでした。翌日、彼女には”声を掛けらるな”オーラを出しまくり、しばらく避けていました。はい。全部私が悪いです。これを文章にするまでは黒歴史と思っていましたが、冷静に考えるとオモロイですね。私も絶対同僚と同じ、それ以上の楽しみ方をするでしょう。重ねて言いますが当事者は辛いですよ笑。

四日目(水曜日) 死を考える。死ぬとどうなるのか。死後どうなるのか。目を瞑り闇の中にどっぷりつかった。真っ暗だった。真っ暗で音のない世界。これが死後の世界?そして消えて無くなるのか。私という存在が消えて無くなる。地球からも。私からも。消えてなくなる。何もない。小学2年生の頃、同じことを思っていた。私はどこから来たのだろう。それは分かっていた。何故か船でこの世界に来たという記憶があった。では、なぜここなのだろう。その思考が浮かぶと決まってたどり着くのが「死」だった。死ぬとどうなるのか。目を瞑り暗闇を見て思う。これが死後の世界なのか。この何もない暗闇の中で自分自身も無くなってゆくのか。漆黒に浸かり「無」がどういうものなのか好奇心に駆られる。紐を首に縛り両手で思い切り引っ張った。苦しい。息が出来ない。でもあの世界に行くことが出来る。死ぬほど自分の力で首を絞められるはずもなく、その時の恐怖に打ち勝てるわけでもなく手を緩める。お風呂の中で息を止めてみる。やっぱり苦しい。そして怖い。恐怖。死は恐怖。「無」は怖い。それからは死と向き合うことはなかった。生きることも死ぬことも辛い。どちらかというと死の怖さが勝った。だから考えるのをやめた。私は死の恐怖に慄きながらふと思考をずらす。「死んだら誰に会いに行こう」。最後に見ておきたい人は誰だろう。私は夢想した。体から抜け出た私は地上3メートルくらいで浮遊していた。当時の同僚の上を飛んでいた。その中に苦手な奴がいた。「こいつにだけは会いにゆくまい」そう思うと心が軽くなった。死後は自由だ。うん、悪くない。

五日目(木曜日) 終活せねば。少し正気を取り戻しつつあった。葬式の費用はあるだろうか。実家住まい。老いた両親。貯金もないいい歳をした子の葬式。死亡保険に入っていて良かったな。つくづく思う。死亡保険で葬式費用は賄えるだろう。書類を分かるところにしまっておこう。遺影はどうするか。わざわざ写真を撮りに行くのか。自撮りしていても機械音痴の両親がわかるわけないか。私はふと「来週の今頃までに遺影を撮りに動いていなければ生き延びる」と根拠のない確信を得る。

六日目(金曜日) 正気を取り戻す。心が穏やかになる。病院に行く前と同じ時間にベッドに入る。目を瞑ると映像が浮かんだ。私の妄想には私の都合よくお話が進む自作自演の物語と勝手に話が進むコントロールのきかない物語の二種類の妄想がある。その時は勝手に話が進む系だった。その映像の中には私がいた。私は小さな子どもになっていた。私はその子どもを見ている観客の視線で映像を観ている。子どもの私は誰かの腰にしがみついてぴょんぴょん跳ねていた。その子は両手を広げてその誰かを仰ぎジャンプしている。その誰かは男である。その子が仰いでいる男性の上半身は薄暗く確認することが出来ない。その子が見上げ仰いでいる男性は「いえっち」だ。その子がしきりに”いえっち””いえっち”と叫んでいるからだ。私は”いえっち”を知っている。

小学校へ通っていたかいなかったか、その辺の時期の話だ。私は一人で近所のお兄さんに付いて教会(日曜学校)へ通っていたことがあった。宗派は覚えていないしそんな子どもが知る由もないので知らない。自分で教会を探したのかお兄さんと知り合いになって連れていかれたのかは定かではないが自分で教会を探した、という記憶のインプットがなされている。家族、親せき、近所に宗教に入っている人は誰一人いない。その教会もお兄さんの車で40分ほどかかるところにある。それを小さな子が一人で行動するのだ。因みにお兄さんの運転する車は小さい10人ほど乗れるバスのようなもので二人っきりではない。多分お兄さんは教会の関係者で勧誘した人を教会へ連れていく役割の人だったのだろう。に、してもだ。小さい子がある日突然教会の関係者と知り合い日曜学校へ一人で通うと言い出しそれを実行していたのだ。私は言い出すと誰が何と言おうと実行する子だったのでそんなことが出来たのだと思うが時代も良かったのか私がそれほど聞かん坊だったのか、後者の自信しかない。当時は誘拐事件がいくつかあり事実私の近所の子も事件に巻き込まれたことがある。無事に何事もなく帰ってきたがニュースで取り上げられ子どもにとっては物騒な世の中だったと思う。教会へ行くきっかけが何の好奇心だったかは覚えていないが通う楽しみは覚えている。当時私はピーターラビットのカードを集めるのが好きだった。もうちょっと学年が上がると竹久夢二という渋いカードに移行するが。ピーターラビットはお話に夢中になったというよりはウサギの絵を見るのが好きだった。教会では聖書を一節覚えると小さなカードが貰えた。素敵な絵が描かれていて綺麗だった。それが欲しくて聖書を覚えていた。覚えて数人グループになってそこで発表するのだ。そうするとカードが貰える。カードを5枚集めるとそれより大きなカードが貰える。それを5枚集めるとまたそれより大きなカードが貰えるという仕組み。多分三段階目のカードを集めた時点で私の飽き性が発動された。それっきり教会へは行っていない。覚えたはずの聖書は一切知らない。ただ、何かあると報告する相手はその頃にできてしまった。ジーザス。私の中では”いえっち”と呼んでいた。私の中で消化できないことや納得できないことは”いえっち”に文句を言ったりケンカを売ったりしていた。

映像の中の子どもは”いえっち”を仰ぎながら言う。

「地球ってね、おかしなところだよ。意地悪する奴、他人を恨む奴、妬む奴。面白いところだあよ。いえっち、私がんばったよね。もう帰りたいよ。いえっちに土産話たくさんあるんだよ。早く聞かせたいよ。自慢したいよ」

映像は終わって私は安堵した。なんだ。死んだら”いえっち”に会えるんじゃん。楽になるんだ。久しぶりに深い眠りに落ちた。

■ 七日目(土曜日) 親とは話が通じない。同じ人間、同じ環境、同じ言語だからと言って言葉が通じるかというとそうでもない。まず人の話は聞かないし、話す前から二人の答えは決まっているので”説明”という行為が出来ない。”説明”が出来ないので本人たちの意に添わなければ私はさあ、親不孝者だ。それが前提なのでコミュニケーションをとるのが億劫でたまらない。意味もない。なので母親には次の週の土曜日を病院に付き添ってもらうことだけを告げ父親には付き添うと言い出したのを断固拒否した。とりあえず大きな仕事はひとまず片づけた。少しは肩の荷が下りる。

■ 八日目(日曜日) やっと休める。そしてふつふつと怒りが込み上げてきた。診断結果を聞きに一人で行けないってなんなんだよ、って。しかも身内連れて来いとは(10年前はそうでした)。考えられる理由は後で書くとして、親を連れて行くのはこの上なくストレスだった。結果を聞いた後はパニックになるだろう。それをなだめなければいけない。自分の事で精いっぱいなのに大人二人の事を気にかけなければならない。自分たちが世話を焼いていると勘違いをしている痛い大人二人を。勘弁してくれ。きっついわ。因みにそのとき図書館でイギリス人女性が乳がんになった本があり読んだ。同じシチュエーションで同じように考えていた。その女性は親が面倒くさいので友人に付き添ってもらっていた。誰かを付き添ってもらうのは本人がショックで理解できないときの補助とか、間違った判断をしないようにとか、多分そんな理由だと本に書いてあった覚えがある。私が思う付き添う必要論はビジネスでしょうか。逃がさないための笑。

タイトルとURLをコピーしました