孤独とは-地球の片隅の3人の孤独-

この記事は約4分で読めます。

ある人を観察して思う「孤独」について

 若い頃、一人で悩みを抱えていたら初めて「孤独」って奴を感じました。その時、悩みとは別に「孤独」ってこういうことか、ってストンと私の腑に落ちた瞬間がありました。その悩みについて街をウィンドーショッピングしながらあれこれ考えていました。答えにたどり着けず思考が停止しました。ふと顔を上げるとそこは人でごった返していました。私は歩きながら頭を整理しようとその悩みの解決法を考えていたのですが解決法を見いだせず思考停止した。そして顔を上げたら人込みの中にいた。その状況を俯瞰して自分は「孤独」だと感じたのです。なぜ、人込みの中で孤独を感じたのかその時はっきり認識しました。その場所は観光客や地元の学生に人気のエリアです。観光に来ている皆様はどなたも楽しそうです。学生さんは友達と笑い、ふざけながら人込みをすり抜けていきます。誰も悩みは無いような表情です(今は、誰でも悩みはあるよ、とその時の自分に言いたいのですが)。気を付けて歩かなければ人にぶつかるほどの人込みでほとんどの人は楽しそうな表情です。下を向いて考え事をしながら歩いているのは自分だけだと思い込みました。何十億人もいる地球で生きている同種の人間がいるというのに私は誰一人にも相談していないのです。「孤独」は相対的なものだとその時、はっきり自覚しました。自分以外の人間が沢山いる、だから「孤独」を感じたのです。

 私が知っている人に「寂しい」人だな、と思える人がいます。二人ほどその言葉に当てはまる人を知っています。一人は医師の診断がついた、なんでも「一人でいることが出来ない」らしい。医師がそう言ったそうな。彼女はちゃんと病名もあるとのことなので彼女のことを書くのは控えます。もう一人の方はどう見てもイカれているのですが、本人、イカれているなどと努々考えたことは無かろう。基本、人の話を聞けませんから。彼女の行動の詳細は控えますが、彼女がなぜ「寂しい人」だと私が考えているかを書きます。

 彼女は世界で独りぼっちです。そのことに気づいてさえいませんが断言します。物理的に、というよりは彼女の世界はそうであろうと思うのです。なぜなら彼女の世界に他者が存在しないからです。彼女にとって他者は他人ではありません。自分と他者との境界線は無いのです。他者は自分のために存在しています。でもそうしてくれる人はいません。無償の愛を彼女に与えたとしても自分の思い通りに動く完ぺきな存在ではないので自分の為の他者は存在していません。なので彼女は決して満たされることはありません。自分の行動を顧みず迷惑がっている人がそれを態度や言葉で表すとイジメられていると思い込みます。彼女の身に起こることは全て「外の世界」でのことです。彼女が原因で起きている自己責任の世界では生きていません。彼女の世界に表れる他者の全ての者が勝手に彼女の世界をぶち壊しに来ている悪者です。彼女の中に「他者」がいないとはつまり現実的な言葉で言うと「他者」を思いやるという思考が全く無いということです。全ては自分中心です。それは悪いことではありません。世の中の一人一人はみんな自分の世界では主人公です。なので自分中心に考えるとは当然です。でも他者がいないのは自分中心ではあっても主人公にはなれません。ずっと一人です。一人芝居では彼女は納得しません。彼女を引き立たせてくれる脇役を欲しています。これも彼女自身気付いていません。ただ、その状況に不満があるだけです。一人で舞台に立つのが不満で仕方がありません。物事は表裏一体だと思います。何かの歌にありましたっけ。永遠が欲しいのなら一瞬だけ抱いて、的な。これ、ググっても見つからないんですけども。兎に角、物事ってそういう事かな、と思います。永遠に一緒に居たいのなら一瞬だけ抱きしめる。永遠の中に一瞬があってぎゅっと何かを一瞬に集めると永遠になる、みたいな。闇は光の中にしかない、とか。反するものはそのどちらかに属している、とか。ちょっと話が違ってきましたが、まるまる関係なくはなくて笑。他者が何を考えているのか、と考えすぎるのはどうかと思いますが全く他者を排除すると結果、孤独になる、そういう人に限って他者が必要で仕方がない。しかし他者が思い通りに動かない。そして他者との距離感が分からない。そもそも知らない。もっと言うと他者と自分の違いが分かっていない。これって、悪い意味で、です。いいことであることもある場合もあるでしょう。彼女の場合はそれが悪い方に動いている。そしてそれも気付いていない。一人芝居をすることになったのは他者が舞台を降りたのだと理解出来ず舞台の上から永遠にその状況について不満をぶちまけている。観客もいない暗い舞台で。それが彼女の孤独≒「寂しい」なのかな、と。

 私の場合、孤独は自分以外の同種の人間が沢山いる、と認識したときに感じました。孤独は相対的なものだと、はっきり自覚した。孤独は解決しない気がしますが、「寂しさ」は紛らわすことが出来る。他者を思いやると自分の中に自分同様に優しくしようという他者が増える。そうすると「一人」ではなくなる。でも私の中に小さいころから自分の「居場所」を探している感覚がずっとあるのです。なのでその「居場所」にたどり着くまでこの「孤独感」が消えることは無いような気がします。私の人生の課題の一つのような気がずっとあるのです。
 

タイトルとURLをコピーしました